スポンサーサイト 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
うらない 
昨日占いに行ってみました。
もともとそんなに占いとか好きではなかったんだけど、とあるきっかけで抵抗が薄れてきたので、試しに。

結果としては、期待ほどの何かをえられた訳ではないけど、まあまあ興味を満たすことはできた、かな。

言われた事の半分は当たってて、半分は違うなあという感じ。

「あなた(霊とか)見える人?」と言われたが、見えたことはない。見えないくせにやたら怖がりだけど。
「あ!じゃあ、あなた勘が鋭いでしょ?」と。ドキリ。
自分でもイヤになるほど、勘が冴えてる時がある。

前世は高知出身で北海道に渡り、秋田に住んだらしい。
ここで何も言ってないのに北海道が出てきてびっくり。
で、英語が得意だったらしい。
あー、学生時代英語だけは得意だったなあ。センター試験で198/200っていう自己採点叩き出したなあ、、でも数学が23点だったなあ、、と遠い目。

父親のこととか言われても、はあ、そうですか、という感じだったけど、「あなたは、自分なんてって思うところあるからね。何か目の前にきたら、自分なんてとんでもないって遠慮しないで、どんどん乗っかればいいのよ。自信持ってさー。そしたらうまく進むわよ」と言われた時に、目頭が熱くなった。
あー、それだなあ。

オーラは、緑ベースに黄色がかってるらしい。
緑色はコミュニケーション、黄色は知恵。
私の名前の「智」という字は知恵(智恵)・知識(智識)からきているらしいので、なんか納得。

一番聞きたかったことは、どちらにでもとれる感じだったのでもやっとしたけど、とりあえず満足。
前向きに生きてこそ、人生が好転するんだという事が、ヒシヒシと伝わった。
そんな感じ。

また思い出した頃に行ってみたいと思います。
父の日 
今日は父の日。
お刺身が好きだった天国の父へ。


昔父は、たまに釣りに行っては、釣ってきた魚をさばいて、お刺身にしてくれた。
子ども心にも、あの時のスズキのお刺身はとてもおいしかった。
「おいしいべ?」と言って、ぱくぱく食べる私に誇らし気な顔をした。

いい思い出もあれば、苦い思い出もある。
正直、美しい記憶ばかりではない。
それでも、いつまでも続くと思っていたものがふと絶たれたら、それは全て手の届かないものになった。
なんて取り返しのつかない日々を送っていたのか、私は。

訃報を受けたのは、仕事中だった。
不思議と涙は出なかった。
翌日、飛行機に乗って帰ると家には誰もいなかった。
薄暗い居間のテーブルの上に、遺影に使う写真が一枚置いてあった。
手にした瞬間、初めて涙がこぼれた。
その後は堰を切ったように、人はこんなに泣けるものかというくらいに泣いた。

あれから7年。

失ったものを埋めあわせるように、取り返すように、償うように、何をしたらいいのかを考えて生きている。
少しでもいい人になれるようにと。
父が遺した大きな宿題は、必ず私を大きな人間にするだろうと思う。

いやになるほど父にそっくりな私は、今日も元気です。
一ヶ月 
あの日から一ヶ月経った。
桜のつぼみが日に日に膨らんでいる。
春がきてる。

二回目の大きな地震は、あの日と同じワンピを着てた。
久しぶりに遅くなってさあ帰ろうという時。また外にいた。
イヤホンから聴こえる音楽とは違うガシャンガシャンという音は、工事中の足場がたてる恐ろしい音だった。
大地とはあんなにも動くものかと、また思った。

揺れが収まってから、夢中で自転車をこいでた。何回も何回もぶつかりそうになりながら。
途中で火事も見た。その火事はその夜、テレビで何度も何度も見ることになる。
信号はところどころ消えている。
平日のあの時間なのに大量の車。
あちこちで聞こえる非常ベルの音。
空にはヘリコプター。救急車、消防車。
妙に冷静な人たち。

正直、あんなに心細くて泣きそうだったのは久しぶりだ。

最初の地震の後にも思ったけど、二度目の地震で強く確信したこと。
会いたい人には会わなきゃ。

幸いな事に、私の周りの人たちはみんな無事。
いろんな事に笑ったり、怒ったり、泣いたり、悩んだりして過ごしてる。
連絡すると、元気?って返ってくる。
それが私はうれしい。

私は今ここに住んでいて、近くの人も遠くの人も、みんなが泣いたり笑ったりして忙しく生きてることが、私の幸せなのだなと思う。


春が、手の届くところまで来ている。
さあ、家に帰ろう。
地震 
発生から10日経ちました。
数々の奇跡が重なり、こうして今も生きてます。

周囲が安全な屋外にいたこと、海の近くではなかったこと、そのまま避難所となりうる資機材と人が揃った会社であったこと、、

いつまでも止まない長い長い、経験した事もない大きな揺れ。
避難してきた人たちに追い討ちをかけるような三月の雪。

みんなでテントを設営し、ジェネレーターで電気をとり、投光機で周囲を照らし、使えるストーブを探して暖をとりながら、やかんで湯を沸かし、電気ポットを集めてお湯を沸かして温かい飲み物を配り、球場中のベンチコートやブランケット、ジャンパーを集めて寒さをしのぐ。

電話やメールが繋がらないなか、携帯の充電を気にしながらの避難。
停電時・災害時のラジオのありがたさを痛感した。
聞こえてくる情報の残酷さ。
それは、停電から解放された時に見たテレビでさらに衝撃を受けることになる。

それから6日間、避難所生活。
何かと動きまわり、寝るのは翌日になってから。
結局会社からの指示があり、会社での避難生活は解散となり、私は一時的に実家に退避することにした。

一緒に泣いたり笑ったり怒ったり、濃い時間を共有した友達との別れは、本当につらかった。
またすぐ会えるのは分かってても、それがいつなのか誰も分からなく。

仙台を出るバスでは、涙止まらなかった。
私は結局、楽な道を選んだのではないか。
仙台に残る人たちを置いて、ひとりだけ逃げるのが申し訳ない。
今もその気持ちは変わらなく、早く戻りたいと思ってます。
私の今のホームグラウンドは仙台なのだ。

これを書くまでに長い時間を要しました。
とてもとても大変な事が起こり、そしてそれを受け止めて、乗り越えて行く。
いろんな事を考えたし、考えさせられたし、考えさせたと思う。
この避難生活の中で、三度だけ泣いた。
うれし涙と、悔し涙と、別れの涙。

冒頭でも書いた通り、たくさんの奇跡が重なって今もこうして生きてます。
人に寄り添い、心に寄り添い、人を大切にし、共に笑い、共に生き、共に泣いて、もっともっと人として生きていきたいと思う。
人と人 
先日飲みに行ったところにあった3誕生日大辞典。
一日ずつ365日分その日生まれの人の性格占いの本。

当たってるとこもあれば、そうかなあ?というところもあり。
でも自分ではピンとこないとこも、周りからみると「当たってる!」そうで。
落ち着いてるとことか、哲学的なとこがそうらしい。・・・そうか?

おもしろかったのは、縁のある誕生日のとこ。
とにかく考えてること(主にアホなこと)がやたら一致する人がいて、冗談で「生き別れた姉妹だ!」とか常々言ってたんだけど、ホントに「運命の人」に入ってた。
飲みに付き合ってくれたり、折に触れて相談したりする人は、「頼りになる人」に入ってた。
そして私に大きな影響を与えた人が2人いて、2人とも同じ誕生日なんだけど(その時点でゾクっとくるけど)、その誕生日は「ソウルメイト」だって。
とにかくピタッとはまってきて、ゾクゾクした。

偶然の一致かもしれないけど、私には意味がある偶然。
そんな気がしてならなくて、そしてそれを信じて人と人の繋がりを大事にしたいなーと思うのです。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。